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2026年 01月 23日
ときどき怖い夢を見ます。だいたい次のようなパターンが多いです。 ひとりで、もしくは友人とふたりで、よく知っているはずの街を歩いています。通りや店先の風景はたしかに馴染みがあるのに、それがうまく繋がらず、歩いても歩いてもどこにも行き着かない。あるいは、いつも使っている駅の構内の様子が変わっていて、ぐるぐると階段を昇り降りするばかりで、めざすホームに出ることができない。いっしょにいる友人にしても、ごく親しく感じているのに、初めてあった知らないひとだったりします。 時刻は、夕暮れ。街は薄暗いのですが、時間の経過は感じられず、いつまでも薄暮のままです。そこをどこにたどり着くこともなく彷徨っている。叫び声をあげるような怖さではないけれど、心細くとても怖い。目が覚めてから、もしくは夢を見ながら、内田百閒の小説の怖さと似ているといつも思います。 元法政大学総長の田中優子さんは、内田百閒の描く怖さについて次のように述べています。
いちばん怖い恐怖小説作家、幻想小説作家といわれれば、ぼくのなかでは内田百閒をしのぐ作家はいません。より正確には、内田百閒の小説がもたらす恐怖に、とても惹かれるものを感じているというべきでしょう。随筆などでユーモラスな作家と捉えているひとも多いかもしれませんが、このような怖い話を書くひとが円満なはずはないとぼくは思っています。 『冥途・旅順入城式』岩波文庫 #
by siitani
| 2026-01-23 13:00
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2026年 01月 20日
『AI親友論』出口康夫(徳間書店)2023 聞くところによると、いま大学ではAIによって一部で大きな混乱が起こっているようです。レポートの課題がAIによる代筆が可能になったため意味をなさなくなった。卒論さえAIに書いてもらえるのであれば、学生の身になれば自分だけAIを使わないという選択肢はあり得ない。これはとりわけ人文系の学問にとっては大きな出来事でしょう。 このようにここ1年程でAIは社会を大きく変えてしまったわけですが、これをビジネスの効率化に使おう(使わなければ負けちゃうぞ)という浮き足だった風潮がある一方で、将来のAIと人間の関係はどうなるのだろうという漠然とした不安も広がっているように感じられます。どちらかというとディストピア的な未来を予感する空気が強いのではないでしょうか。 そうしたときに『AI親友論』という実にポジティブなタイトルが目について、本書を手にとってみました。著者は京大の哲学の先生で、副題に「京大哲学講義」とあるように、実際の授業がベースになっているようです。 断るまでもないと思いますが、AIが親友といえるような人格をもつのは、技術的にはもっと先の、先のことです。しかし、そのときに備えてどのような社会を準備しておく必要があるのか、ここで展開されているのはそうした問いに対するある種の思考実験です。 そのキーワードになるのが、「WEターン」です。これは、行為の主体をI(わたし)から WE(われわれ)へ転換しようという哲学的な “視点の転換(turn)” を意味しています。そのWEには、人間だけではなく他の生物、無生物、そしてAIのような人工物も含まれます。 WE(われわれ)は同じ船に乗ったメンバーであり、誰もが「よいわれわれ」を実現するために果たすことのできる役割があります。ここで “よい” のベースとなるのは、「外に対して排外主義的な態度をとらないわれわれ」であり、「内に対して過剰な同調圧力をかけないわれわれ」です。“排外的われわれ” の排除であり、“内圧的われわれ” の排除がよいわれわれなのです。 そうしたよいわれわれ(WE)のあり方が、われわれの自由、われわれの善、われわれの幸福(ウェルビーング)の実現につながります。そして、そうしたI(わたし)から WE(われわれ)への哲学的転換=パラダイム・シフトをなしえたときに、社会はAIを親友として迎える準備ができたと発想します。 人類に反旗を翻すコンピュータという典型的なディストピア的ストーリーがあります。『2001年宇宙の旅』の「ハル」は、宇宙船乗組員たちから “死” を与えられると察知し、彼らの排除を試みます。言ってみれば死を怖れるAIです。そうではなくて、人間と同じように苦しみ、悲しみながらも最後には死を従容と受け入れる弱いAIこそが、親友を呼ぶにふさわしいWE(われわれ)のメンバーとしてのAIということになります。 なんだか夢物語のような、空理空論という気もしますが、ありたい姿、ある種のユートピアの描写として心に訴えかけるものが確かにここにはあると感じました。このくらい現実から距離をおいてこそ、見えてくるものがあるのかもしれません。哲学の仕事という感じがします。 要約としてはあまりに言葉足らずでしたが、長々とした文章を読んでいただくのも申し訳ないので、興味が湧いたら、ぜひ本文にあたってみてください。特に事前の知識は必要ないと思います。 #
by siitani
| 2026-01-20 13:00
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2026年 01月 17日
今回の立憲民主党と公明党による政界の再編について、中島岳志さん(東京科学大学 政治学・歴史学)のマトリクスによる整理がわかりやすいと思うので紹介をします。 政治の仕事というのは、内政面においては主に「お金」と「価値」をめぐる問題だといえます。その二つを、それぞれ縦軸と横軸に置いたマトリクスです。 縦軸の「お金」は「リスク」と言い換えることもできます。人が生きていく上で生じるさまざまなリスクを個人で取っていくのか、それとも社会全体で分有するのかという問題です。縦軸の下のほう、リスクの個人化を進めていくと、税金は少なくて済むかもしれないけれど行政サービスはどんどん小さくなっていく。いわゆる「小さな政府」になっていきます。 それに対してリスクの社会化は、ある程度の租税負担はしながら、再配分を強化してセーフティネットを分厚くしていこうという考え方です。さらに、国家だけではなく市民社会としても、ボランティア活動や寄付を通じて互いに協力し合っていく。「大きな政府」であるだけでなく「大きな社会」をつくっていこうという方向性になります。 横軸の「価値」においては、両極が「リベラル」と「パターナル」ということになります。リベラルは、いわゆる自由主義です。これは、自分とは意見の違う人に対しても寛容になろう、代わりに私の考え方の自由も保障してくださいね、という考え方。対してパターナルは、強い力を持っている人間が価値の問題に介入していくのが当然だとする考え方です。 たとえば選択的夫婦別姓の問題でいえば、リベラルは「人によって考え方は異なるんだからそれを尊重して、夫婦別姓でも同姓でも選べるようにすべきだ」と考える。一方、「日本人だったら夫婦同姓にすべきだ」などとして、一つの価値観を強要しようとするのがパターナル、ということになります。 この二つの軸によって、図のⅠからⅣという四つの象限が生まれます。その四つのうちのどこに位置するかによって、政治家や政党の立ち位置がわかりやすく見えてくるわけです。 自民党と維新の会はⅣの象限に位置します。そして、程度の差はありますが、Ⅱの象限に位置するのが、立憲、社民、共産、れいわといった政党です。 本来ならⅡから出発したはずの国民民主党ですが、自民に近づいたりしてなんだかふらふらしているようです。また、参政党は中島さんによればⅠに分類されていますが、ぼくにはあまりしっくりきません。 今回動きのあった公明党は党としての主張などを見る限りではⅡに属するのですが、実際には長年にわたってⅣの政権に連立して加わっていたということになります。それが、この再編によって本来のⅡの象限に戻ってきたといえると思います。 これまでの右 vs 左という枠組みでは、互いが中道を名乗り、かつ相手を極左・極右と罵るような状況は、もはや手に負えないのに対して、このマトリクスはある程度の説明力をもつように思います。ただし、先に参政党のポジションについて違和感を指摘したように、すべてをうまく説明ができるわけではないとも感じます。 今回のテキストは、以下のふたつの対談をベースに作成しました。というか、ほとんどその一部を書き写したともいえます。くわしくは、ぜひオリジナルにあたってみてください。 マガ9対談 雨宮処凛さん×中島岳志さん:維新は「第三極」か? 野党共闘は失敗だったのか? 2021衆院選から2022参院選へ──日本政治の現在地 By マガジン9編集部 2021年12月29日 マガ9対談 雨宮処凛さん×中島岳志さん:なぜ「日本人ファースト」は人々の心を捉えたのか? 2025参院選を振り返る──日本政治の現在地 By マガジン9編集部 2025年10月1日 また、同じ中島さんの次のテキストをおすすめしたいと思います。 NHK「100分de名著」ブックス オルテガ 大衆の反逆: 真のリベラルを取り戻せ #
by siitani
| 2026-01-17 13:00
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2026年 01月 14日
いまでこそフリーライターを名乗っているけれど、いちおうちゃんとした文章を書けるようになるまでにはかなりの時間を要しました。周囲を観察したうえですが、どうも女性のほうが文章修行においても早熟なような気がします。それについては、ぼくなりの仮説があります。 文章を書いているときは、書いている自分と、それ読んでいる客観的な自分がいます。別な言い方をすれば、同時並行をしてメタな視点を働かせているということです。自分への思い込みが激しいと、なかなか闊達な文章を書くことはできません。 生物的か社会的か理由はわかりませんが、女性のほうが自分を相対化して見ることに慣れているのではないでしょうか。男は思い込みだけで、ぐいぐい行ってしまうところがありますから。 もちろん男女を問わず、いくつになっても思い込みの激しい、我が強いひとというのはいるものです。できるだけ敬して遠ざけておきたいところです。いつものように自戒を込めて。 #
by siitani
| 2026-01-14 13:00
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2026年 01月 11日
年明け早々、嫌な “映像” を続けて見ました。ひとつはベネズエラの大統領が拘束されている姿です。 もうひとつは、某が元首相の写真を胸に掲げて参拝している映像です。ぼくの感覚からいえば、故人の写真を胸に掲げるというのは親族のみに許されていることではないかと思うのです。ものすごく違和感があります。あれを見て親族はどう思ったのでしょうか。いったい元首相の親族にことわったうえでの行いでしょうか。 もし親族が了解のうえであれば、あのような中途半端な掲げ方をしないで、堂々と遺影として掲げればいい。もし了解なしにあのような行為に走ったのであれば、親族の悔しさはいかばかりかと想像します。ちなみに、神域に遺影を持ち込むのは禁忌ではないかという議論もあるようです。 三つ目は、イスラエルの首相を取り囲む日本の議員の姿 。ガザのジェノサイドを悼み、悲しむ気持を踏みにじられたような痛みを感じます。 うーん、さすがに、ぼくたちはすでにディストピアの現実を生きているのかと疑わざるをえません。そうでなければ辻褄が合わないことが多すぎます。あるいは、新しい世界大戦(三次)のかたちはこういうものであるとか。 国政においては、一日も早く国会を始めて、政権与党に問われている数々の疑惑を片付けて、本来の国民を幸せにするお金の使い方について議論を始めて欲しいと思います。解散をしている場合ではないと思うのですが。 #
by siitani
| 2026-01-11 13:00
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